『Surgitel』(サージテル)特集
●栗原 仁先生『秩父臨床デンタルクリニック』(埼玉県秩父市)●
〜まずは歯科医が変わらなければ〜
『本気で向き合い、きちんとした治療を徹底することで患者さんから信頼される喜びを知りました。』
埼玉県秩父市の秩父臨床デンタルクリニック。
現在は勤務医と歯科衛生士が拡大鏡を使って精密な診療を行っていますが、
開業当時はまったく異なるスタイルの医院だったそうです。
変化のきっかけは、院長の栗原仁先生がスタディグループJIADSへ参加したこと。
ご自身も平成22年よりエンドアドバンスコースの講師を務めています。
どのような経験をしたのか、そこにどんなお考えがあったのか、お話を聞きました。
1.栗原先生は、開業してすぐに歯科医師・院長として「大転換」があったと伺っています。それはどういうものだったのですか?
2.栗原先生が治療のスタイルを変えた例として、何かエピソードがあれば教えてください。
3.先生はそのとき、サージテルで何を見ていたのですか?また、ほかにサージテルでこういう所を見ている、という例はありますか?
4.最後に、先生がサージテルを使う根本的な理由を教えてください。
1.栗原先生は、開業してすぐに歯科医師・院長として「大転換」があったと伺っています。
それはどういうものだったのですか?
平成16年に開業したのですが、開業にあたって考えていたのは、「どれだけ患者さんを回せるか」「どれだけチェアを増やせるか」。つまり、そのための設備投資をし、スタッフを集めました。
そして開業から2ヶ月後、たまたま友人から誘われてJIADSの勉強会に参加したのです。
JIADSで、それまでの自分の考えが根底から覆りました。
ただ入れればいい、ただ削ればいいと思っていた治療には必ず理由があって、一つひとつ丁寧にやらなければならないということ。
補綴や歯内治療にしてもきちんとよく考えなければならないこと。例えば、私はそれまで不適合なFCKを何も考えずにかぶせていました。
その補綴物の適合を良くすることで、ロンジェビティーが向上します。考えてみたら当たり前のことだったのです。
歯科の保険制度では限界のある内容をJIADSで教えてもらったことが、私の歯科医師としての本当のスタートでした。
そこで、開業したばかりの医院のコンセプトを変え、JIADSの考えにのっとってやっていこうと決めたのです。
当初とまったく変わるわけですから、スタッフたちには私の考えを受け入れてもらえません。
歯科医師の多くが保険点数に追われ、JIADSのコンセプトを引き継ぐ歯科医師は一人もいませんでした。
その後JIADSを理解されないドクターやスタッフに別れを告げ、30人いたスタッフのうち、残ったのは2人だけです。
結局、目指していたスタイルになるまで3年かかりました。
既に来ていた患者さんや借金のことなど、苦労はたくさんありました。
でも、JIADSで知った『目線を患者さんに向けること。ロンジェビティーの意味。講師の先生たちの仕事の凄さ。歯科の勉強ってこんなに楽しいんだということ。』ここにしか自分の生きがいはないし、上の先生たちはこれで成功している。だから徹底してやうと思いました。そこに迷いはありませんでした。
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